ワーキングマザー

パート先での我慢と妥協と退職と。その2

こんにちは。ともねこです。

前回「パート先での我慢と妥協と退職と。その1」を書きましたが

今回はその続きとなります。

その1から読みたい方はこちらをどうぞ↓

パート先での我慢と妥協と退職と。その1 「家計が苦しいから、子供を認可保育園に預けてパートで仕事をしようかな。」 「でも可愛い子供の成長を近くで見て、今しかないこの時期...

6社目 学校関係 事務職員

上の子が小学生の頃、6社目で入社したのが学校関係の事務局でした。

学校の事務局は、とっても独特な世界でした。

今振り返っても、人間関係や組織に一番神経をすり減らし、ストレスで完全におかしくなっていたと思います。

当時の事をあまり深く思い出したくもないぐらい。

ただ、休み・有給取得のしやすさ・給与面・期末手当・職場環境・衛生面など

労働条件においてはホワイトではありましたし

学校という施設ともあって、所謂、輩というかガラの悪い人とは全く出会わず

教員の方は、みんな本当に優しく穏やかで良くして頂きました。

知見が広い先生とお話すると本当に楽しく、お話も面白い方が多かったです。

職員は、ゆったり穏やかな方が多く、パワハラ・セクハラには皆敏感でしたし

適宜、そういった注意喚起の為の学内セミナーみたいなものが行われていたので

誰にも叱れない上司が多く、良くも悪くもゆるい職場という感じ。

だから、一部の職員がいじわる・悪口・陰口が横行しているのに

誰も律せないという環境

上の人は、誰も責任を取りたくないような、誰も悪役になりたがらず

腫物にふたをするタイプが多く、下っ端職員は本当に辛かった。。

1人、かなり機嫌が不安定で我儘な女性がいました。

常に自分が輪の中心にいないと気が済まないし、ずーっとおしゃべりしているし

職場なのにキャッキャうるさいし、ルールを守らないし、仕事はミスだらけだし

自分のミスを人のせいにしたがるし、上司の悪口を言いまくるし

仕事終わりに長文LINEで愚痴と反省入れてくるし、職場でもすぐ泣くし

あと100個ぐらいトラブルがあるような女性がいたんですよ。

なーにぃ?やっちまったなぁって感じですよね。

私はそのトラブルメーカーの方の仕事の補佐的立場でした。

あまり思い出したくないのですが

一言でいうと、完全に振り回された2年間でした。

学校というゆるい組織の中は、一見穏やかそうで良いかなーと思いきや

こういうトラブルを巻き起こすタイプの人が潜んでいて

それが野放しになっていることがあります。

もちろん、そうじゃなくきっちりしている学校もあるのでしょう。

でも私が見た現場は、変な人が複数人いて、まともな新人さんが被害を被り去っていくという現実。

二度と、足を踏み入れたくない職場です。

ただ、そこで同じ苦しみを共にした同期や上司4人とは、今でも定期的に会ったり連絡を取っています。

その出会いは良かったなと。とっても良い人との出会いも沢山沢山ありました。

学校関係事務で、精神的にやられた私は

夜も眠れなかったり、夢の中にもトラブルメーカーさんが出てきたり。

ある日、出勤中の車内であまりにも職場に行くのが嫌すぎて

このまま事故起こしたら行かなくて済むかな。。」と

ボーっと考える自分に気づきました。

かわいい子供、大事な家族がいる私にとって

こんな思いをしてまで行く仕事って、いったい何なんだろう。。

ストレス耐性が弱く、HSP気質である自分が情けなくなりました。

退職してから数日後、めまいと耳鳴りが酷く起き上がれなくなり

ストレス性のメニエール病と診断されました。

直接自分がいじめられたり、嫌がらせを受けたわけではないのです。

ただ、自分の目の前でAさんとBさんが対立をし罵り合い

両方から毎日相談と愚痴を受けたりして板挟みの状態でした。

誰かを陥れようとしたり、その場に居なくなった瞬間にその人の悪口を言ったり

女のいやーな部分が凄すぎて、そのトラウマがある私には耐えられませんでした。

退職後、1年は働く気が全くなくなってしまいました

まとめ

思いのほか、学校事務での仕事の思い出が止まらなくなって

かなり長文になってしまいました。

続きはまた次回、その3へ。。