(前回のつづきです)
2度目の転校初日も、前と同じだ。
人が変わりクラスの人数の規模が大きくなっただけで、ガヤガヤ感も緊張感もあの嫌な空気も全部一緒。
もの珍しそうに好奇の目を容赦なく向けてくる小学生たち。
シーンとはしていない。ガヤガヤと絶えず誰かがくっちゃべっている。またコソコソ話をする女子。きつい目だけはこちら。
「はぁ・・・」
「もう見ないでよ・・・」
当時はこんな心境だったか。
小学校3・4年生の頃はよく記憶に残っているし、いじめというか無視がきつかった。
自分の奥底にずっと溜め込んでいた暗黒の無視時代の話を、こうやって誰かに吐露したことはない。口から発するとぼろぼろと何かがはがれそうで怖かった。鉄のアーマーでガチガチに封印していたような感じ。
誰かに話すと嫌われそうで、自分に自信がなかった。
誰かに話すとその事実がやはり実際に起こったことなんだ、と実感するのが怖かった。夢だったんじゃないかと思いたかった。それほど辛かった。
そのクラスでも、気が強くて男子とよくケンカをするB子という女子がいた。
自分の言うことを聞いてくれるような大人しい子を従えてた。
ある日B子が足を怪我してしばらく松葉杖になった。
すると休み時間のたびに女子を手招きして自分の席に呼び寄せる。
数人集まったところでB子が指示を出す
「〇〇が腹立つから無視ね?」
ターゲットは一定期間ごとに変わっていった。
みんな、B子を恐れていた。
逆らったら自分がいじめられると思っていた。
私ももれなくターゲットになった。
仲良くしていた友達たちがある日B子に呼ばれ、明らかに私だけ呼ばれなかったので気付いてしまう。
次の日学校に行ったら、前日まで普通に仲良く遊んでいた友達が、というかクラスの女子ほぼ全員から避けられた。
今でも忘れられない、図工の絵を描く時間で校庭まで移動するとき、仲良い友達がみんなB子に呼ばれて校庭に行ってしまって、追いかけようとしたら走っていかれた。
誰かに話しかけても避けられた。
何もしていない。なんで。。
恥ずかしいから泣いたりはしない。
平然を装って、1人で移動して1人で絵を描いた。
あの辛い時間、人生に必要だったかなぁ。
家に帰って、親には言えないから部屋でこっそり泣いたかもしれない。
リボンを読むことと、ファミコンでドラクエ2をやることが救いだった。
ドラクエの世界に入る時間だけは現実を忘れられた。
しばらく耐えたのが、どれくらいの期間だったかは覚えていない。
それからすぐ別の友達がターゲットに変わったおかげで、私はターゲットから外れてみんな話してくれるようになった。
誰もB子の事を悪く言っちゃいけない暗黙の了解があった。ある日一番仲が良くて信頼のおける友達に思い切ってB子の話をしてみた。
するとその友達も私と全く同じ見解を話してくれた。
「さすがにB子、腹立たない?」
これは勇気がいるけど、相手さえ間違わなければ上手い方に流れる。
それから数人友達を集めて、被害者みんなでタッグを組んだ。
調子に乗って女王様気取りのB子に、全く同じことをしてみようと合意した。
作戦は至ってシンプルで、明日から全員B子に呼ばれても行かないこと、B子に話しかけられても無視すること、移動も休み時間もB子と行動を共にしないこと。B子がこれまでやってきた悪事を、そのままやって差し上げるだけの事。
作戦当日はワクワクした。
みんなそれぞれ辛い思いをしていたから、みんな同じ気持ちだった。
当日、みんなから無視して避けられたときのB子の表情は忘れられない。顔を真っ赤にしてキレていた。その後泣いて先生に告げ口したようで、その辺から先生とみんなとB子との話し合いがあったような気もする。
先生はB子を怒ったのかはわからない。
でも大人が何か決定的に助けてくれたという記憶はない。
自分達で考えて行動して状況をなんとか改善した。
それからB子はみんなに泣いて謝って、一応みんなで許したはず。
B子はごめんなさいと泣いて反省した。
それを聞いた私もみんなも泣いた。
B子は弱い人間だった。自分に自信がない故に起こした行動なんだろう。
みんな優しいから、卒業まで一応普通に接した。
30年以上経った今でも、やっぱり意地悪なB子の顔と名前ははっきり浮かぶ。
表面上での許しと、傷つけられえぐられた心の中での許しは別だ。
許すとか許さないじゃなくて、今でも被害者だと思っている。
いじめや無視は、心の中身をナイフでえぐられるような痛みだ。
40代の親になって思うのは、B子もまたかわいそうだったんじゃないかと。
おそらく家庭環境が影響している。
B子の保護者にも怒りを覚える。
B子も被害者でB子の母親も被害者、かもしれない。
でも、そんなことは知らない。
負の連鎖を断てばいいのだ。